産んでくれて、生まれてきて、ありがとう

季節外れの肌寒さがようやく夏の日差しに飼い慣らされつつあった体に堪えるどしゃ降りの天気。今日はいよいよ妻の出産日。午前中はなんだかそわそわしてしまって、意味もなくスマホを触ったり、気を取り直して洗濯機を回したりして過ごす。昼食を済ませてタクシーで病院へ。術前の妻と会い少し会話をする。あと数分で手術だというのにまだ緊張していないと聞いて何てタフなんだと感心してしまった。自分の方が緊張していた。ただ待っているだけなのに。手術室の前で別れ、待つ。時が経つのがこれほど遅く感じたのはいつ以来だろうか。スマホの時計を見るたびに遅々として進まない数字にため息をつく。50分ほど経った後、手術室の方から聞こえてきた甲高い鳴き声に胸が高鳴る。間違いない、産声だ。すぐさま待合い場所の椅子から腰を上げ、近くまで駆け寄る。程なくして手術室から運ばれてくる我が子と初対面。まだ目の開かない我が子を見て嬉しさがゆっくり、でも確かにこみ上げてくるのを感じた。感染対策の為、我が子との対面はこの数分のみだったが、とにかく無事に産まれてきた事実に安堵した。その後、妻の処置も無事に終わり、麻酔で意識が朦朧とする妻と対面。何か声をかけたが、気持ちが昂っていて何と言ったのか覚えていていない。一世一代の大仕事をやってのけた妻に感謝。無事にこの世に産まれてきた我が子に感謝。汚いことも多い世界だけど、我が子が自分で進むべき道を選び歩んでいけるようになるまでは、親として出来る限りの綺麗な景色を沢山見せてあげたい。そして生きることを肯定できる人になって欲しい。